db名称未設定

2003年7月14日
ごめんなさい。今日も名称未設定です。

強いて言えば、尾○氏(オ●ル師と読んではならない)が意味不明なことを言ってきました、っていうネタがありそうな程度?

…私の裏の人格とやらには2人の娘ができる(すでにいる?)そうだ。ハァハァ。

ってだけのつまらない話でした。


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だって眠いんだもん。
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地域研究がんばりました。
そうだ、あれを貼れば3000文字逝くかも。
HAHAHA!3000文字は先にいただくゾ、faggy!
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以下amr.docより
著作権は私をはじめとする3班の班員にあります。コピペとかはだめだよ♪
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私たちは、今回の地域研究で、東北地方の方言について調べました。江戸時代が終わり明治にはいって、外国の文化を積極的に取り入れてく用になっていく中、規範とすべき日本語、「標準語」という考え方が取り入れられました。これは、あくまで“規範”であって、これ以外の言葉は使ってはいけない、ということではなかったのですが、学校の教育現場での勘違いなどによって、「方言はいけないもの」として教えられ、だんだん、方言は使われなくなってきてしまいました。そして今では、東北地方の人々の多くが、方言に対して「恥ずかしい」などの理由から、マイナスイメージを抱いていることがわかりました。これを示しているのが、この図です。そして、方言に対してこのようなイメージを持った親などが、方言を話さなくなることにより、方言を話すことができない子どもが増えてきてしまいました。私たちは、このような状況から、東北の方言の将来はどうなってしまうのだろうか、と思い、この研究をしました。
まず、盛岡弁の発生のしかたについて話していこうと思います。盛岡弁などの、岩手の方言の発生については、二つの説があることがわかりました。そのひとつは、「方言周圏論」と呼ばれるもので、これは、京都を中心にして、波紋のように言語が広がっていく、という考え方です。これは、柳田國男氏が、全国調査をして提唱したものです。つまり、京都から離れれば離れるほど、昔発生した言語が使われている、ということです。
もうひとつは、「独自変化」と呼ばれる考え方です。江戸時代、太平洋は波が荒く、船がとおれなったため、日本海を通して、物資を輸送していました。そのときに、片言の関西弁が伝わり、それが地方でそれぞれ独自の変化を起こしたというものです。
 盛岡弁については、主にこのふたつの説が有名です。
 盛岡弁の特徴は、ズーズー弁(中舌母音)と呼ばれるものです。「ようちえん(東北弁風)」「良かったなぁ(同左)」というように、あいまいな母音を用いることが多くなっています。また、有名な「どさ?」「ゆさ。」といったように、短く、テンポの良い会話ができるのも、特徴のひとつです。これら二つは、他の東北弁にも言えることですが、盛岡弁独自の特徴としては、「おとなしい感じがする」ということが言えます。また、盛岡県はとても広いので、海側では言葉使いが荒めである、など地域によっても多くの差が見られます。
 さらに、昔は、盛岡弁のなかにも、いくつかの種類がありました。上士の言葉、下級武士の言葉、そして農民の言葉、です。現在残っている盛岡弁は、このうちの、下級武士の言葉です。しかし、この中にも、共通語が混ざってきてしまっています。

それでは、盛岡弁がどのようなものかわかってきたところで、次に盛岡弁の今、についてお話します。

 ここ数10年、全国で方言復活の機運が高まってきています。盛岡でも、これは同じことです。しかし、依然として、一度広まってしまった共通語を使う人が多く、方言を話せない人が増えてきています。このような中、昔からなれしたんだ方言を若い人にも話してもらおうと取り組んでいる人々がいます。

盛岡弁に親しむ会です。
盛岡弁に親しむ会は、自分の話している盛岡弁はおかしい、と指摘された人の、「本当の盛岡弁を知りたい、もう一度自分たちのことばで話したい」という思いから、1996年につくられました。
盛岡弁に親しむ会の目的は2つあります。ひとつは、「盛岡弁で、昔のことについておしゃべりして、楽しむこと」で、もうひとつは、「盛岡弁の保存」です。
会員の皆様は、「聞いて話して残そう」を理念に、月に一度、公民館に集まって活動をしています。

また、盛岡市内の町名は、1960年代にほとんど変わってしまったので、昔の町名に戻す活動を、これから行っていきたいそうです。これは、金沢市のかずえ町など、3つの町名が復活している、という前例もあります。

会員の皆様に、方言保存の活動は十分かどうかをうかがったところ、「まだ不十分なので、昔話などをするような、子供のクラブや勉強会を作ったら良い。また共通語はどうしても必要だけれども、方言は地域の文化・歴史・伝統を映す鏡で、時代とともに変わっていく。だからこそ残していき、若い人にも話してほしい」という答えをいただきました。
このように、「今記憶している盛岡弁を残していく」というのが、盛岡弁に親しむ会の活動でした。

また、私たちは、公共施設に、方言が用いられている例として、プラザおでってにも訪問しました。

プラザおでっては、盛岡市のつくった公共施設で、飲食店、学習施設、女性センター、生活センター、ホールなど、多岐にわたる設備があります。この施設は、いま盛岡市で深刻になっている、「中心市街地の空洞化」という問題を解決するため、「観光のラケット理論」という考え方にのっとってにつくられました。

観光のラケット理論とは、自宅などから、目的地、観光地が離れていれば離れているほど、寄り道をしたくなる範囲は広くなる、という考え方です。そして、これを図に表すと、このようにラケットの形に似てくることから、観光のラケット理論と呼ばれているのです。

そして、プラザおでっては、この円の、中心となる建物、つまり、盛岡にくるきっかけになるような施設を目指してつくられている、というわけなのです。

このような役割を達成するために、まず、親しみやすい名前をつけることが必要となり、これを公募しました。その結果、全会一致で、「プラザおでって」が採択されました。しかし、これには、盛岡弁に親しむ会、などの団体が反対しました。「おでって」は「おでってくなんせ」という言葉の一部であり、中途半端である、ということと、「くなんしぇ」の部分が、敬語であるにも関わらず省かれてしまっているので、乱暴に聞こえる、というのが理由でした。しかし、現在では「おでってくなんせ」ということばは日常では使われなくなっていることと、「プラザおでってくなんせ」というのはわかりにくい、という理由から、結局反対意見は通らず、施設名は「プラザおでって」に決定しました。

このようにして方言が施設名として用いられたプラザおでってでは、盛岡弁で事業をするのではなく、事業の際に盛岡弁を用いる、という方向で方言の保存をしていきたいそうです。今の盛岡弁を大事にして、支えて生きたい、というのがプラザおでっての方針でした。

3000文字オーバーしたから続きは秘密メモ。

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